IN MY LIFE

たかさん、コメントありがとうございます。


最近のコメントの流れからは、私を擁護していただいてるようにも感ぜられています。


短な言葉ひとつでその人がもっている皮膚感覚を表現することは難しく、
ましてやそれを他人に伝えることは至難だと思います。


世間ではさんのコメント然り。深いところまではうかがい知ることができません。


私は、自分の至らない点(たとえば態度が悪いことなど)を他人越しに言われることを好みません。
直接に言ってもらえないことは、自分の所作の為した結果なのかもしれませんが、直接に言ってもらうことを望みます。
それは、間接的に言われたことに対してあまり本気になることができない私の性格だからかもしれません。


乱暴な言い方になってしまいますが、間接的な伝わりでは、
それが噂話や失笑癖の類に思えてしまって、相手をする気になれないのです。


だからといって、世間ですさんが相手を傷つけることを懸念して間接的に伝えた行為を、
ただの噂話や失笑癖であると捉えているわけではありません。
それがどういう関係、状況であったのかを知るにはあまりにも情報が少なすぎます。


ただ、全員ではないが実際にヤクザのような部落民もいるからあなたも気をつけなさいという言葉に反応してしまいました。


ヤクザ/部落民とヤクザ/部落民以外ではどちらのヤクザ率(?)が高いのか正確なところはわかりませんが、
確かにヤクザ/部落民の方が高いように思います。
部落民は比較するとヤクザ率が多いから気をつけた方がいいというのは適格なアドバイスなのかもしれません。


しかし、私は部落民という属性を持つ私のことを条件として、
私のことを警戒している相手と積極的に交わりたいと思うことができません。
それは、私が部落民だから抱く特有の感情であるとも思えません。
最初から自分のことを警戒している相手と交わりたくないと思うことは一般的な感情だと思うのです。


気の合う人間とそうでない人間がいることは自然なことに思えますし、全ての人とわかりあえるとは思えません。
ですが、もし、私が世間ですさんにとって有益な人間であって、世間ですさんが私にとって有益な人間であった場合に、
私が部落民であることでお互いがお互いの距離を縮めることができずに交わることができないことが、
ものすごくもったいなく残念なことに思えてしまいます。


私は、部落差別に限らず、差別という現象の是非が、
差別する側にあるのか差別される側にあるのか、その答えを持っていません。
キャッチボールのようにある時はこっち、ある時はあっちという具合にどちらか一方にあるものではなく、
優等生的な言い方で申し合わけありませんが、どちらにも原因はあるように思います。


気の合う人間とそうでない人間は自然発生するように、
差別も自然発生する現象のひとつなのかもしれません。