変えるべきものを変えるだけの勇気を。


乞食とか物もらいとかルンペンとかイロイロ呼称はありますが。


体が動かなくて仕事できないとか
飲む打つ買うで身を持ち崩したとか
どうしても社会生活に適応できないとか
心が折れてしまって立ち上がれないとか


とりあえず現住所を持たない、という意味でホームレスと呼ばれています。

大阪市がホームレステント撤去 支援者ら抵抗 』

大阪市が市内の靭公園(西区)と大阪城公園中央区)で生活するホームレスにテントなどの撤去を求めていた問題で両公園のテントなどを強制撤去した。靭公園ではホームレスや支援者がブルーシートで「団結小屋」を作り、激しく抵抗、市側ともみ合いとなった。市は両公園に三百人以上の職員と警備員約三百五十人を動員。大阪府警の機動隊など警察官約三百五十人も駆け付けた。

■市が強制撤去したテントなどの物件は両公園合わせて二十七件、立ち退かせた人数は十九人。ホームレス側に四人のけが人が出たほか、強制撤去に先立ち、同日未明、靭公園の出入り口を閉鎖しようとした職員をチェーンで殴ったとして、傷害の疑いで無職の男性(55)が逮捕された。


もちろんシェルターと呼ばれる仮設施設へ誘導はしていますが、大小あれど強制撤去は、ここではないどこかで死ねというメッセージが含まれています。私の中のものさしで手を貸すべきか貸す価値ないかの判断基準はありますが、管理目的である公のものさしの決断はしかるべきかなと思います。


けど、机の上の決断と現場の執行はまったく性格が違うのが常で。する側とされる側には必ず憎しみが生まれます。きっと市職員や警官たちは「きたねージジィ死ねや」と思いながら抵抗するホームレスたちを見ていたでしょう。てか、そう思わなければできないし。


そう根っこで思っていることを知っているからこそホームレスや支援者も抵抗するわけです。


人の心から終わらせることはできるのでしょうか。