地域。

部落の人が自分の生まれた部落のことを言うときにはよくムラといいます。多分、「村」なのですが私の感ずるニュアンスではムラです(笑)。「ウチのムラはなー」とか「あの子、ムラの子か?」なんて感じで使います。


ムラとか地区とか部落の呼称はいろいろありますが、最近のホットなキーワードは”地域”という呼び方みたいです。


ふっとなんとなく思ったのですが、確か記憶は脳ミソの神経回路がつながっていくことだったようなあいまいな記憶があるのですが、つながることで記憶ができるのなら、人と人がつながることが記憶になって、ムラとか地域とかそれ自体が記憶になるのかな、と。もっとでかくなれば歴史とか言われるんだろうな、なんて。


人と人が出会って、それが記憶になって、歴史になって。


なんだかいいなぁと思いました。そういう意味では解放運動がもたらしたものはすごく大きいものがある。記憶をつくったんだもの。


ちょっと話は飛びましたが、私は”地域”という呼称がけっこう好きだったりします。


ムラだけでない、というか、部落を含めた周辺まとめて全部という感じがして、当事者だけの仲良しグループじゃなくて、そうさ生きてりゃイロイロあるさ!て具合にお互いの違いを受け入れ合ってるようなイメージを持ってます。


もしほんとうにそうなったらもっとデカイ記憶になるんだろうし。


でもさ、例えば100人いたとして。50人がつながって残りの50人がつながって半分に分かれたらきっと戦争なんだよね。99人がつながって残り1人だとか、3人くらいつながって97人はバラバラだとか、パターンはいくつも考えられるけど、つながってるグループとつながってないグループは結局別の記憶になってしまうのかね。


つながるってことはきっぱりと区別するってことなのかな?排他的というか。もちろん1人が複数のグループとつながるからそうそう単純な話ではなくなるだろうけど、それぞれが全部とつながっていたとしたら、それは100%自力の世界でまったくつながってないともいえるような気がする。


自立ってそういうことなのかも。よくわからんw