何年か前まで。


自閉症のことを引きこもりであるとかニートであるとか、そういう心の病的な認識をしていたことがありました。


結構そういう人は多いんでないか?と思います。自閉という漢字がモロそれ系を連想させまし、もしかしたら引きこもりの医学用語!?みたいな直感が働くんでないかと。


自閉症というのは脳の発達障害で、心理的な原因で生じる情緒障害ではありません。念のため。コミュニケーション障害ともいわれ、言語や感受性にかたよりがあるため社会性の面で不都合が生じ易いといわれています。


で、この間、アメリカの自閉症の高校生にまつわるニュースを見て胸が熱くなりました。


http://abcdane.net/blog/archives/200603/basket_waterboy.html


あらすじは、自閉症の男の子がいて、彼はバスケットがとても好きで。けども障害ゆえのコミュニケーション下手でチームメイトとぎくしゃくすることや技術的にも伸びがいまひとつだったみたい。


彼は高校の三年間をマネージャーのように過ごした。試合はベンチでチームメイトのモチベーションを高め、水を差し入れたりボールを拾ったりして。いつしか彼はウォーターマンなんて呼ばれるようになっていた。


けれど彼は試合に出る日を夢見て、いつも練習が終わった後は1人で自主トレをしていた。


そんな彼の姿勢を知っていたのかはわからないけど、高校生活最後の試合の最後の4分間、監督は彼の背中を押した。彼のことを知るチームメイトからは「いけ!!」と聞こえんばかりの拍手が鳴り止まない。


一本目。彼のシュートは大きく外れる。


二本目。決まった。三本目。また決まった。彼は出場した4分間、仲間の拍手に支えられて、6本の3ポイントシュートを決める。彼のスーパープレイに試合会場全体が揺れていた。彼が自閉症であることを知る人も知らない人もかれのプレイに拍手を送る手をやすめることはなかった。


そして試合終了。彼は仲間達の手で舞い上げられ祝福された。


と、こういう話なのだけれど。よくある話のように、障害をもった子がこんなにがんばりました的なニュースではなかったみたい。スーパープレイを決めた高校生が実は自閉症で色んなドラマがあったらしい、みたいなことだったよう。


私の父は身体障害者でして、若いころの事故らしいのですが裸になるとけっこう迫力のある傷だらけの身体をしています。手も足も不自由ですが、私にとってはただ父であり障害者ではありませんでした。


ですから、お箸をもてない父の姿や裸の父を見る人の目が「・・・」となることが不思議でしたし、なんというか、いわゆる障害者に対する偏見みたいなものは最小限に育ったように思います。とはいえ、だんだん成長するにつれ、障害をもつということがどういうことなのかは知ることになるわけですから、公園を散歩してる母子が「目を合わせちゃダメよ!」という現実も理解しています。


で、私が感動したのは、自閉症→スーパープレイでなくてスーパープレイ→自閉症だったからです。もちろんこのエピソードを映画化しようとか支持率急降下のブッシュ大統領が肩を組んでテレビに出たり、わんさと胡散臭い流れなのですが、彼の言葉はガツンときました。


「僕は他の人たちとそんなに違わないし、自閉症であることを気にしていない。ただ、僕がそうであるだけということ。他の自閉症たちの人に言いたいのは、がんばって夢を持ち続けていれば、チャンスは訪れ、きっと夢は叶うということ」


自閉症であることは日々の生活で感じない時はないと思うのです。ですから、気にしていない、というのは気付かないという意味ではなくて、自分、なんだなと思います。とにかく気付かされることが多かったです。


中でも、自閉症の子でもできるんだという、やっぱり障害者を下だと思ってる自分の中の差別心。それに、その障害者に負けたってことがくやしい、みたいな。彼が人の一番大切なものを手に入れたことへの嫉妬がありました。


それを踏まえた上で、また少し、本気で障害者と付き合えるようになれる気がしました。


ありがと、ジェイソン君。