実態調査。


この30年。


部落解放同盟は自分たちの要求を自治体の予算化する方策を模索し続けました。それは”事業化”と名づけられています。部落問題の解決を具体的必要的な行政サービスに落とし込み、それを最も効果的に実施することができるのは部落の地域の実情を知る部落そのものであるからと。さすがに解放同盟がそれらの事業を受託するとまずいので人権協会という別組織を窓口にして一括受託する。


要求を事業化するために客観的データを根拠にします。それを同和地区実態調査といいます。3㌢くらいの結構厚い量のデータ集で、平成13年(たぶん)の同和向けの法律が失効する年に調査作成されたものがおそらく最後になるものです。


例えば、同和地区の若年夫婦の離婚率とか、就業率、離職率、最終学歴、そういったものを項目ごとに事細かにデータ化していきます。そうすると同和地区はあらゆる面において平均を下回る、あるいは上回るポイントをマークします。おおよそ同和地区は比較において貧乏だという結論が導かれるものになります。

同和地区の小中学生の学力、平均下回る 大阪府調査
2006年12月01日asahi.com


 大阪府内の小中学生を対象に今春実施された学力実態調査について、大阪府教委は1日、旧同和対策事業の対象地域に住む児童・生徒のデータを抜き出して分析した結果、すべての教科で正答率が府平均を下回っていた、とする調査結果を府同和問題解決推進審議会で明らかにした。


 学力実態調査は、今年4〜5月、大阪市を除く府内すべての小学6年と中学3年の計11万4千人を対象に実施。小6は国語と算数、中3は国語、数学、英語のテストをし、併せて生活状況や学習意識などをアンケート方式で調べた。


 府教委は対象地域の教育環境の改善を目的に、学校から提供された児童・生徒の住所をもとに計約800人のデータを抜き出して分析。その結果、正答率が小学校の国語で6.7ポイント、算数で13.0ポイントそれぞれ府平均を下回っていた。中学校では差が広がり、数学、英語、国語の順に18.2ポイント、15.7ポイント、10.4ポイント下回った。数学と英語の記述式の問題では20ポイント前後の大きな開きが出た。府教委は今後、さらに分析をすすめ、07年2月末をめどに最終報告をまとめる予定。


 今回の調査は府同和対策審議会(当時)の01年度の答申で、対象地域で高校や大学への進学率が府平均より低いことや、高校中退率が高いことなどが指摘されたことを受けて実施された。


 データの取り扱いについて、府教委は、個人が特定できないよう名前でなく番号で整理し、住所情報は作業の終了後に廃棄した、としている。


 しかし、調査手法をめぐり、この日の審議会で一部の委員から「本人の同意を得ておらず、(個人情報の)目的外使用だ」と調査自体の中止を求める意見も出た。

このように、法失効後の一般対策という名の同和事業を支えるものも調査データです。同和対策のときは、ダイレクトに同和地区をデータ化して平均とのポイント差を差別の根拠とし、失効後は、大阪全体をデータ化してある地域に顕著に現れる特定の現象として差別の根拠としてきたわけです。


もちろんこれらのデータがどのような調査に基づいたものか明らかではありませんから、正しく実情を反映したものかどうかはわかりません。ですが部落民のマインドとして、こういう調査結果を見せられたときには「やっぱりまだ部落差別が・・」という気分にさせられます。貧乏とか低学力は部落差別の結果なんだという図式はこのように部落民に刷り込まれていきます。


ですから「部落差別の解消のためにみんな力をあわせよう!!」と声をあげるときには、差別の解消=データの平均値への回復=教育、住宅、就職などのサポート=それぞれの事業化もしくは継続=予算要求、ですから、「がんばって予算要求しよう!!」の意味であることをたとえ読み書きのできない識字のじちゃんばちゃんであっても理解できる環境を整備してきたわけです。


「お金要求しようぜ!!」というのが大衆をコントロールする意味で手っ取り早いのです。お金をあげるといって嫌がる人はいないでしょ、貧乏ならなおさら(笑)。正面きって金!!とは言えませんから、そこは差別解消!!と言い換えます。合言葉のようなもので、山と言えば川、差別といえば金。差別!といえばわんさと運動員が集まる。近頃は金の求心力が急低下中の部落解放同盟や人権協会ですから、人材も運動員も離れていって内乱も外乱も起きてフラフラでしょうね。


↑の記事の話ですが、自立しようとしない親に育てられた子は夢をもつことができない、という結果です。勉強は手段であって目的は自分の夢。貧乏でも自立しようとがんばる親の背中は子供を胸はって育てます!というのが私の部落の教育方針です。


同和事業で教育をうけ大阪市などの公務員になることができた比較的ゆとりある人は同和事業を受ける必要性が薄れるにつれて、部落を離れて生活をするようになります。部落には必然的に事情がある経済的弱者たちが残され集まりますから、データとしての低学力低収入は実情だと思います。


それは差別の結果なのか結果をだせなかった部落解放運動の責なのか。