団地妻A子。


A子が夫と知り合ったのは解放運動がきっかけだった。


A子は子どものころから解放運動をしていた。何故と聞かれると答えられなかったが、同じ部落のみんなといるときのA子は安心することができた。だからA子は、集まりがあると必ず出かけるようにしていた。同じようにいつも顔を会わす二つ年上の先輩が今の夫だ。


成長した二人は当然のように結婚した。家計は苦しかったが、二年前、夫が公務員になってからは、暮らしはずいぶんと楽になった。部落の一番新しい団地にも入ることが出来た。友達はみんな「よかったわねA子。うらやましいわ」といってくれたが、「あの夫婦は熱心に解放運動しているからね」と影口をいわれているのを知っていたので、少し複雑な気持ちだった。しかし、安定した収入と住まいを手に入れたA子にとって誰がどう思っているかなど関係のないことだった。


A子は4年前から週に5日、近くの小学校で調理員のアルバイトをしていた。時給はそれほどいいといいうわけではなかったが、もう少し勤めれば正社員として公務員になれる予定だった。先輩が一人、定年を迎えるので、その次はA子と決まっていた。それがA子の希望であり、そのために解放運動を続けているとA子も感じていた。


子どもは二人いた。小学校の2年生と5年生。勤務先が近いせいもあり、子育てに苦労するという経験はしたことがなかった。二人とも少年サッカーのチームにはいり、おなかをすかせて泥だらけになって帰ってくる。その時間にはいつも夕飯を用意しておくことができた。夫も飲みに行く日以外は決まった時間に帰ってくる、穏やかな家族4人の生活だった。


A子は子どもの頃、「部落差別ってなくなるの?」と一度父親に聞いたことがあった。父親はそのために運動しているんだと教えてくれた。ほんの少しの迷ったが、それでも聞いた。「運動すれば差別はなくなるの?」A子は、「部落はいいね。」と友達の言ったことが気になっていたからだった。父親は言った。「お前は貧乏知らんからそんなこと言えるんじゃ!」それからA子はもう聞くのはやめようと思った。


夫は少し酔うといつも同じことをいった。「イイ仕事に就けたし、新しい団地に入れた。解放運動のやっててよかったな。」いつもA子は笑ってうなづいた。事実、公務員は安定した仕事であったし、安い家賃も家計を助けた。今の生活は幸せだった。


もう少ししたらA子も公務員になれた。そうなれば、進学をひかえた子どもたちのために今よりたくさん貯金よう。夫の話を聞きながらA子はいつもそう思った。二人の子どもは部落ということにこれからどう向き合っていくだろうと少し考えたが、貧乏よりはマシだろうとそれ以上考えるのをやめた。


そんなときA子は、夫と二人の子どもを愛しいと感じるのだった。そして、今日はいつもより激しく夫を受け入れようと思った。


P.S A子が住んでいるのはオイラの頭の中です。