人を好きになる条件。


なんてまじめに考えるとはまったりして。


まず、


”自分1人ではない”こと。


これは必要なのかな。相手がいないと始まらない。けど、相手が現実にいるかどうかはあんまり問題じゃない気がする。私の心に住んでる好きな人もいるし。てか好きにも色々ありまして、恋、愛、情。あとなんだろ、憎とか悪なんかも変形みたいだし、嫌ってのも軽く好きっぽい。気付いてないけど好きってのもある。


うーん。


拷問なんてのも、責め苦に耐え続ける姿を愛してしまうって人の心理がないと発展しなかったらしい(たぶん)。まぁ“例外のない法則はない”という法則があるくらいなので、とてつもないレアケースにはぴったりと蓋をすることにしても、嫌いだから好き、憎いから好き、って条件はNGになるな・・・。


一目惚れなんてのもあるので、好きになる最速は一瞬なわけで。


その人のもってるエッジにひっかかる。なんてか、琴線に触れる、てのかな。それも色々で、一本で象を釣り上げてしまうピアノ線みたいな琴線や、ひと吹きの風で切れてしまう生糸のような琴線もあるだろうし、何本もくもの巣のように張り巡らされてる心だってある。


とにかく、好きになる神経を直接に指でビィィ〜ンと弾いた感じ。


2つ目は”琴線に触れる”ってことにしよう。



・・・あれ?微妙に終わった感がするぞ。”1人ではない”ことと”琴線に触れる”ことでいいのか?強制終了なのか?





(しばし妄想)





ここからは願望の世界なのかなと思った。生臭い世界。例えば、


自分も愛されたい、とか
ずっと好きでいたい、とか
みんなに愛されたい、とか


私の心はほとんどがこの部分で占めていることを発見してしまって微妙に切ないのですが。それが人なんだよ!!と切れ気味に・・・いや、待て待て。ここ大事な筈。きっと3つ目はここにある。


人は1人では生きられないといいますが、それは肉体的なことで。、捨て子だろうがなんだろうが、リアルなイメージだろうが、ぼやっとしてようが、とりあえず最初から母は心の住人。たまらなく切なくてさびしいけども心にはとりあえず1人は住んでいるので精神的には生きられるような気がします。活きてるかどうかは別として。1人で活きるってのはありえないし。


1人で生きるってのはずごく閉ざされた感じがするな。まったくの密閉。内側にはいくらでも隙間はあるんだけど入れない、てか入れさせない。逆に活きてるってのは内側はぎゅうぎゅうすし詰め状態でもう入らないんだけど全開に開いちゃってるのでどしどし入ってきてしまってどうしよう、みたいな。別腹があれば助かるのだけれども。


ん?好きってのは心に人を住まわすことなんじゃないかなと思った。嫌や憎も心に住んでいることには変わりがないので微妙に好きっぽいのかなと。まぁ、最上階のペントハウスでお風呂あがりはシャンパーニュね、と住まわせるのも、三日干しても洗濯物が乾かない湿度80%の部屋に住まわせるのも家主は私ですから。


だけど、もう満室よって状態でも「そこっ!詰めればまだ入る!!」て感じでないといけないんだ。だから活き。おお!でた感!!


3つ目は”活きてる”ことだ。自分も相手も。






1人ではないこと
琴線に触れる
活きてる


これが人を好きになる私の条件。どだ!!




(・・・妄想終了)