軽口をたたくわけではないのですが。


たんとんさんが経験された状況というか空気感というか距離感というか。すごくよく伝わります。私も中学生のときは、腫れ物触らずみたいな空気に包まれてましたから(笑)。ただ、たんとんさんの言葉「きたな〜い」というのは確かに部落のデリケートな部分を直接刺激するものではあると思います。琴線に触れるものを含んでいるように思います。


私の場合だと、なんというか、ほんとうに他意のない、どちらかというと愛情表現であることはわかっていて、自分でもそういう関係を望んでいる筈なのに、現実にその音を聞いてしまうと喉に小骨が刺さったような感覚になります。ほうっておいてもそのうち取れるし、なんならゴハンまるめてゴクリと飲み込めばそれで済む、小骨に何の責任もありませんし、嫌なら喰うなよ!てだけの話なわけです。ただ、ちょっとだけ自己処理するのに時間がが要って、空白のフリーズ時間が一瞬起こる、そういう感じです。


てか、なんで小骨刺さるんだよ!!ってキレてる人がいたら、私は間違いなく近寄れません(笑)。


たぶんですけど、解放運動をしている人たちの多くは、たんとんさんからそういう言葉があったということ、その事実だけを必要としています。その前後関係や秘めた想いなどにはまったく興味を示しませんし、理解することもないと思います。


その事実、一点だけで、


きたない→差別発言→糾弾→行政闘争→解放運動としての点数稼ぎ


だいたい、こういう感じだと思います。思います、というのは私は自分なりの解放運動はしていますが、部落解放同盟支部員ではないし、その活動や組織を見聞きはすることはできるだけで、ある意味で当事者ではありませんので、どうしても外野から批判だけしてる状況になってしまいます。そういうの何か嫌なので、とりあえずはぼやっとした書き方なのですが、ともかく、逃げの意味ではないことにご理解いただけるとうれしいです。私は、このブログやらなんやらで、なんらかのかたちで糾弾を受けることになっても、逃げる気持ちは微塵もありません。


で、


私は、そういう言葉が存在したという事実にはほとんど興味がありません。たんとんさんの言葉を借りれば、それは必要な摩擦熱だと思っています。擦れて擦れて偶然ついた火があったからこそ文化が生まれたのは人類の歴史なわけですから。