1人ひとりの目を見て。
以前も書きましたが、私の父は部落解放運動の最前線で活動していた男です。
それは今から30年以上前の話ですが、利権とか同和行政とかエセ同和とかの、
そりゃもちろん当時から甘い汁を吸いたがる輩がいたわけですが、
少なくともすぐ隣で普通に人が死んでいって、それが貧しさに起因するもろもろで。
生まれ門地でこれほどまでに人間の運命が左右されてよいものか、
差別とは?人権とは?生まれてきたならば人として幸せな生涯を望むのは赦されないのか?
そういう問いと意思と行動が部落解放運動でした。
私は、父がきっとその時代の正義だったと信じています。
その父とか、それを支えてきた母とかが最近ものすごく寂しそうです。
もしかしたら人権文化センターがなくなるかもしれない。
それは社会性が薄れたという民主主義の結果であること。
自分たちが血を流して築き上げてきたものが、功罪含め己そのものが。
いまも差別とか偏見に立ち向かう気持ちをもてないでいる人の声が。
私は運よくあんまり怖いもの知らずな性格に育ったことに感謝します。
それふまえて。もう一度てか、これからもずっと感じて生きます。
私は差別が嫌いです。
いいのか悪いのか。必要なことかもしれない。自分の中ですら消し去れない。
だけど、私は差別を憎みます。することも、それを使ってしまうことも、使われることも。
そして、
歯を食いしばって精一杯生きてきた人たちの声を絶対に忘れません。