私の祖母は。


字が書けませんでした。


ひらがなを少し読めるくらいで、自分の名前を書き写すことはできても書くことはできませんでした。文盲(もんもう)です。これはもしかしたら差別用語かもしれませんが、教育レベルが底辺で読み書きができないということです。


それを識字ともいいます。


その国の識字率は読み書きできる人の割合がどれくらいかという意味です。外務省によるとバングラデシュとかパキスタンは50%以下です。要するにイメージとして貧しい国の人の多くは読み書きができない、読み書きの出来ない国民を多く抱えていては国は富まないという貧困の再生産が行われるわけです。


で、正確なデータではありません、あくまで私の感触ですが、部落で出会った私の祖母くらいの年齢の方たちの識字率は50%以下です。ですから、ムラ(部落)ではよく識字学級というのが開講されていて、じちゃんばちゃんがひらがなで自分の名前が書けたとか、作文を書いて初めて夕焼けが美しいと思えたとか、私にとってはあたりまえで新鮮味のないことですが、めちゃいい笑顔で学んでいるのを見ると、それが激しく快感をもたらすものなんだと教えられました。


てか字が書けない読めないというのは、どんな景色なのか想像つきませんが、区役所や病院に行って自分の名前が書けるということで誇りに似た自信がもてるようです。


そういう読み書きすらできなくて、バラック小屋みたいな畳すらない隙間だらけの家に住んでいて、それは恥というか恥ずかしいことで外との接触を極端に嫌うようになっていて。部落民であることが恥ずべきこと触れるべきでないことと教えられ育ったある日、水平社宣言が生まれ、部落であることを誇りに思えと言われた。バラック小屋から同和事業で建った電気のつく寒くない団地に住まいを移して、子供たちを行かせることのできなかった学校に通わせることができて、昨日と今日ではまるで違う夢のような心地だったろうな。


私も、その時その場所にいれば激しく解放運動をしていたと思います。