あれ?いつの間に。

昨年、「予算額は同じか!?」と補助金が目的化している現実を明確に露呈することとなった東淀川区の人権文化センター3館が統合されることになったそうです。

「飛鳥」に統合へ 大阪市立人権文化センター3館 
2008.2.1 00:18

このニュースのトピックス:地方自治
 同和対策関連事業の見直しを進める大阪市は、近接地域に同じ事業を行う施設が重なっているとして、同市東淀川区内の人権文化センター3館(飛鳥、日之出、南方)を4月から飛鳥人権文化センターに統合、「東淀川人権文化センター」(仮称)と名称変更する方針を決めた。日之出、南方の2館は「分館」とすることも検討されたが、議会から「統合する意味がない」などと批判の声があがったため、条例で定められた施設としては廃止し、貸館施設になる。

 飛鳥人権文化センターは、館長が逮捕されるなど飛鳥会事件の舞台の一つにもなったが、最も規模が大きいことなどから統合先に選んだという。他の2館は、貸館施設としてNPO育成ブースを設けることも検討する。3館で、市派遣職員6人含む計約34人のスタッフは削減する。

 市内に12館ある人権文化センターは、同和対策事業で解放会館として設立。同和対策関連法の期限切れにあわせて、12年から名称変更された。現在は、地域住民の自立支援や人権啓発などの事業を平成21年度まで、指定管理者の市人権協会に委託して実施している。

 市は、この3館以外についても来年度度に機能やあり方の見直し方針をまとめる。

Sankei Shimbun


さて、統合する飛鳥、日之出、南方の人権文化センターですが、各々の住民意識がどうやって馴染んで順応されていくのか興味があります。


同和地区にはムラ意識という同郷意識が根強く、”飛鳥の子””日之出の子”といった風に、同じムラの出身ということを強く意識する傾向があります。ムラとは”村”の意で、同和地区出身者が地元を指す意で使う言い方です。


大阪市内に12箇所あるムラにはそれぞれ人権文化センターがおかれています。このセンターは部落解放運動の象徴的なものです。また部落解放同盟支部として、人権協会は地区人権協会として各ムラにあり、部落解放同盟支部の合議体として部落解放同盟大阪府連があり、各地区人権協会の合議体として大阪市人権協会があるわけです。


また、部落解放同盟支部や地域の人権協会の事務局は12箇所ある人権文化センター内に事務局を構えていたという図式があります。人権協会は市からの事業受託で大阪市の公共施設である人権文化センターの管理を請けているのですが、部落解放同盟支部については特定の圧力団体が公共施設に事務局を構えていることは適切ではないので、基本的に人権文化センター内に事務局をおくことは好ましくありません。


それぞれのトップは部落解放同盟○○支部長、○○人権協会理事長と12箇所分いるわけですが、そのムラのトップはそのムラの出身者がなります。というか、そのムラの出身者でなりようがない現実があります。そして、各々の部落解放同盟支部と地域人権協会は分配される補助金の窓口となるわけです。


私は大阪市内の1地区の出身ですが、地区内で生まれた若しくは育った人間に対してその地区を強く意識させる仕組みがハードとソフトの両面にわたって何重にも張り巡らされています。それはその地区の運動力を高め、圧力団体の維持向上へつながるシステムなわけです。


ですから、1つのようで1つでない協力関係があるようで実は利害関係にとらわれ続ける地区と地区の象徴が統合されたことは、異質を受け入れることを極端に恐れる思考の教育を受ける地域住民が現実を受け入れることへの、おのずと自分の殻を破るような個の変革を迫る、という出来事に思えるのです。


私は、その迫られる個の変革が個の解放へとつながってほしいと思っています。


部落解放運動によって、その行政闘争によって、長い間行政と寄り添うことによって、継続性と安定を中心に据え補助金を目的化することで硬直してしまった疲弊した組織が成しうる解放はもうどこにもありません。


川辺のバラック小屋で激しい差別を受け文字を読めず書けず諦めることでしか生きるすべを見出せなかった私の祖父母の時代に起きた、個の中に芽生えたほんの小さな意欲のカケラを集めてつながることで自立への道を模索する試みとしての部落解放運動はその時代を終えました。


人の世に熱あれ、人間に光りあれ。