どうして石油は値上がりしているの?
なんで?
お粗末に不勉強で、マネーゲームの結果だろ!?みたいな思考しか持ち合わせていません。誰か教えて。
なんてか、世界は今のところ貧困をどう受け入れるか、どこが受け入れるか、どれくらい受け入れるかのバランスで成り立っている気がしています。それは物であったり人であったり現象であったりして、部落解放運動が機会の欠如を取り上げ、物の貧困を解決することで人や現象の貧困を解消することを試みたように、欠けた部分とは離れたところを拡充することで取り繕う方法が大勢を占めていて、とどのつまり誰がゴミ箱の役割を引き受けるのかの駆け引きなんだろうな。
労働者は人だけど、人は労働者じゃないとこもあるさ。そうさ。
立ち位置というのかポジションなのか。とどのつまり思想とか。
ルーツとか信念とかの話は女々しくてこっぱずかしくて重たくて話すほうにも聞くほうにもそれなりになんというか予備知識をそれとなく求められるような話題だったりするのに少なくとも私にとって今夜話すことのできたというか聞いてもらうことができた相手とその時間は一生のうちにそう何度も繰り返しあることではないことだと懐に浸るわけでもなく自分のことが好きだなと思えたってことを何億の砂浜から削りおちた一粒の砂がひとかけらの水滴に浸る感じなんだと他人の言葉で語る。このままに。
市町村も人件費10%切れ。
そんなに痛い改革なのかねぇ…。
とりあえずトップギアで走り続ける使命とバックギアを外す命題を抱えて生きている私は不安定が友達みたいなものですから10%落ちたくらいでは食って寝て起きるくらいの日常茶飯事にしか思えないのです。
私の公務員てか、自治体職員のイメージはいつでも腹7分目が適正、て感じです。なんとか改革チームが仕事にやりがいを感じているかどうかは知りませんが、ごく普通の一般職員たちてのは自分一人がいなくなっても動き続けることができることを大前提にしている行政の歯車で動いているわけですからやってもやらなくてもお給料は上がらず下がらずてのは織り込み済みなわけでそこに意味を持たせようとする試みなんかは私だったらさっさと放棄してしまって、そこそこ時間使ってそこそこ金もらってまぁいいやてのが王道だろ、てところに落ち着きはらうと思います。少なくとも働くという感じではなくて時間を使うってイメージしか浮かんでこない。働いてりゃ効率上げて対価上げてくこともできるだろけど。
要するに時給下がって我が身かわいいってことだよね。
続けて続けて続ける。
もしもこの世を変えるそんな歌があるとしたなら
それはきっととても素朴で決して飾りたてられていない
1人の人へ向けられた真っすぐな愛の歌でしょう。
愛し続けて思い続けて歌い続けるそれだけそれだけでいい。
小さな歌 THE VOICE KOKIA
どうなんだろう。
さて、こないだの統合に変化があったようです。
大阪市の人権センター 統合先変更へ
2008.2.17 00:37
このニュースのトピックス:地方自治
同和対策関連事業の見直しを進めている大阪市は、統合を検討していた東淀川区内の人権文化センター3館について、4月から飛鳥人権文化センターに統合する方針を撤回し、日の出人権文化センターに統合することを決め、16日に関係者に伝えた。市市民局は撤回の理由について、「方針決定後、飛鳥会事件の舞台にもなった施設に機能を統合させることなどに疑問の声が寄せられた」としている。3センターは、いずれも同和対策事業で解放会館として建設されたが、隣接した地区に同じ人権啓発などの機能を持つ市の施設が集中しているとして、見直しの対象になっていた。
市は飛鳥人権文化センターについて、飛鳥会事件で館長が逮捕されるなど事件の舞台となったが、ホールを併設するなど3館の中で最も規模が大きく、駅にも近いことから統合先に選定、関係者にも伝えていた。
しかしその後、「事件のイメージが払拭(ふっしょく)できていない」「施設規模が大きな施設は、むしろ市民利用に提供するべきではないか」などの異論が寄せられ、最終的に新大阪駅に最も近く、利用率も高い日の出を選ぶことにしたという。「東淀川人権文化センター」(仮称)に名称変更する方針は変えない。
飛鳥、南方の2館については貸館施設として、公募でNPO育成ブースを設けることも検討。統合先変更による経費の増減はない見込みという。
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飛鳥会事件のあった飛鳥こそ幾重の意味での人権文化として残すべきなんじゃないかなー。3館統合したら東淀川人権文化せんたーの利用率はあがらないと意味ないです。人権文化センターの利用率は確か12〜3%でしたから3倍でも35%くらい。要るのか要らないのか微妙なところです。
働いていた人権協会の職員たちの処遇が気がかりなところです。人員3倍だったら笑うw
その理由とは。3
ふらと覗くと終わってました。
だらだらてきとーにいい加減に晒してる私とは真逆に毎日更新を科せて励まれていました。カレンダーの月をめくってみましたがフルマーク!!すごいなぁ・・・。
私もこれ始めたときは何か使命感みたいなもの感じてたような記憶ありますが、今はなんにも(笑)。義務感のしんどさ逃れにだらだら思いつくまま気の向くままな風に流れてきました。気がつきゃ3年!!
続けてるといろんな人がコメントくれたりするとうれしいもんです。まぁ私のブログは部落民が部落民のことを売るような一種の反則技ですけど、何とかこうにか続けていけるのもこれが誰のためでもなく自分自身のためにやってることだからなんだと思います。世のため人のためなんて正直やってられません。毎日必死。
「その理由(わけ)・・・ 」の向井さんもまた書き出すかもしれないし、私も書くのをやめてるかもしれないけど、それって生まれて消えてくごく当たり前の日常なんだよな。
あれ?いつの間に。
昨年、「予算額は同じか!?」と補助金が目的化している現実を明確に露呈することとなった東淀川区の人権文化センター3館が統合されることになったそうです。
「飛鳥」に統合へ 大阪市立人権文化センター3館
2008.2.1 00:18
このニュースのトピックス:地方自治
同和対策関連事業の見直しを進める大阪市は、近接地域に同じ事業を行う施設が重なっているとして、同市東淀川区内の人権文化センター3館(飛鳥、日之出、南方)を4月から飛鳥人権文化センターに統合、「東淀川人権文化センター」(仮称)と名称変更する方針を決めた。日之出、南方の2館は「分館」とすることも検討されたが、議会から「統合する意味がない」などと批判の声があがったため、条例で定められた施設としては廃止し、貸館施設になる。飛鳥人権文化センターは、館長が逮捕されるなど飛鳥会事件の舞台の一つにもなったが、最も規模が大きいことなどから統合先に選んだという。他の2館は、貸館施設としてNPO育成ブースを設けることも検討する。3館で、市派遣職員6人含む計約34人のスタッフは削減する。
市内に12館ある人権文化センターは、同和対策事業で解放会館として設立。同和対策関連法の期限切れにあわせて、12年から名称変更された。現在は、地域住民の自立支援や人権啓発などの事業を平成21年度まで、指定管理者の市人権協会に委託して実施している。
市は、この3館以外についても来年度度に機能やあり方の見直し方針をまとめる。
Sankei Shimbun
さて、統合する飛鳥、日之出、南方の人権文化センターですが、各々の住民意識がどうやって馴染んで順応されていくのか興味があります。
同和地区にはムラ意識という同郷意識が根強く、”飛鳥の子””日之出の子”といった風に、同じムラの出身ということを強く意識する傾向があります。ムラとは”村”の意で、同和地区出身者が地元を指す意で使う言い方です。
大阪市内に12箇所あるムラにはそれぞれ人権文化センターがおかれています。このセンターは部落解放運動の象徴的なものです。また部落解放同盟は支部として、人権協会は地区人権協会として各ムラにあり、部落解放同盟支部の合議体として部落解放同盟大阪府連があり、各地区人権協会の合議体として大阪市人権協会があるわけです。
また、部落解放同盟の支部や地域の人権協会の事務局は12箇所ある人権文化センター内に事務局を構えていたという図式があります。人権協会は市からの事業受託で大阪市の公共施設である人権文化センターの管理を請けているのですが、部落解放同盟支部については特定の圧力団体が公共施設に事務局を構えていることは適切ではないので、基本的に人権文化センター内に事務局をおくことは好ましくありません。
それぞれのトップは部落解放同盟○○支部長、○○人権協会理事長と12箇所分いるわけですが、そのムラのトップはそのムラの出身者がなります。というか、そのムラの出身者でなりようがない現実があります。そして、各々の部落解放同盟支部と地域人権協会は分配される補助金の窓口となるわけです。
私は大阪市内の1地区の出身ですが、地区内で生まれた若しくは育った人間に対してその地区を強く意識させる仕組みがハードとソフトの両面にわたって何重にも張り巡らされています。それはその地区の運動力を高め、圧力団体の維持向上へつながるシステムなわけです。
ですから、1つのようで1つでない協力関係があるようで実は利害関係にとらわれ続ける地区と地区の象徴が統合されたことは、異質を受け入れることを極端に恐れる思考の教育を受ける地域住民が現実を受け入れることへの、おのずと自分の殻を破るような個の変革を迫る、という出来事に思えるのです。
私は、その迫られる個の変革が個の解放へとつながってほしいと思っています。
部落解放運動によって、その行政闘争によって、長い間行政と寄り添うことによって、継続性と安定を中心に据え補助金を目的化することで硬直してしまった疲弊した組織が成しうる解放はもうどこにもありません。
川辺のバラック小屋で激しい差別を受け文字を読めず書けず諦めることでしか生きるすべを見出せなかった私の祖父母の時代に起きた、個の中に芽生えたほんの小さな意欲のカケラを集めてつながることで自立への道を模索する試みとしての部落解放運動はその時代を終えました。
人の世に熱あれ、人間に光りあれ。